なぜ本を読むのか、ということを考えてみた。
感動したい
どこか違う世界に行きたい
私の場合は、何を読むにもこのどれかに当てはまりそう。
日々のごはんを作るためのレシピ本や、片づけや節約にまつわる本だって、「知識を得たい」という動機がある。
「知識を得たい」は、賢くなりたい、だ。
分類してあてはめていくことは簡単。
だけど、常に何かを求めて行動しているわけでもない。
上に書いたような色々全部をひっくるめて、大きな「楽しみ」が、本を手に取るとき・読むときにある。
(なんなら、本屋さんで雑誌の見出しを順に読んでいるだけで面白いし、平台に置かれた本たちの表紙を眺めているだけでかなり楽しい。)
これを求めている!という気持ちをさておき、ただ「楽しい」「面白い」から、という理由で何度も読む本がある。
近藤聡乃さんの「ニューヨークで考え中」
(2巻もでています。)
近藤さんは、アニメーションやドローイング、漫画、エッセイなども手掛けるアーティスト。
私は、❝絵を描く人❞という印象が強い。
近藤さんの漫画がとても好きで、とりわけこの、「ニューヨークで考え中」が大好き。
この漫画は、NYで生活する近藤さんの、その暮らしが4年目に差し掛かる年に連載がはじまった。(webメディア「マトグロッソ」での連載でした。)
NYでの日々を見開き1ページでつづるコミックエッセイだ。
当然NYでのあれやこれや…という内容なんですが、海外生活!の感が薄い。
少し離れたところに住む従姉妹から、今日 家の近くでこんなことがあったよと教えてもらうような、そんな他愛もない感じなのだ。
「十七年ゼミ」という、17年かけて成虫になる蝉を見に行く話や
ベーグル屋さんで「豆腐」のペーストを注文する時、日本語のように「とうふ」と平坦に発音しても全く通じないというエピソード
日本に帰国の際、日本製の画材は「気が利いている」と思った話
描かれるのは、NYで暮らしている近藤さんならでは、なエピソードが多い。
なのですごく不思議だけれど、全然、遠いこと、という気がしない。
思うに、私が漠然ともつ「なんかかっこいい、お洒落なアメリカの街」というNYのイメージには、かけらも現実感がない。
けれど、そこで暮らす近藤さんが見せてくれるNYには、一人一人に顔があり、考えがある、自分と変わらぬ大きさの人間がいる。
みんな変わらぬ暮らしがあって、いろんな事に感動したり不思議に思ったりしているんだなぁと、それは実感を伴った感想だ。
近藤さんの手書きの文字がまたよくて、親近感の理由はこれだろうか?と思ったりもする。
(すごくいいので、何度か真似て練習してみたことがある。全然習得できない…。)
特に好きなエピソードがある。
「お気に入りの靴」という、見知らぬ人にいきなり靴を褒められるという話だ。
言語の面白さがあったり、なるほど!というものより、日常度の高い話なのだが、読むたびに「ふっふふ」と愉快な気持ちになる。
特に好きなコマ
夫に、他愛もないんだけどこれが大好きで…と話すと、自分も好きだ!と言うので驚いた。
しかも、トークショーに行った時、近藤さんが「人気のある話」としてあげられた中に、この話もあったのでまた驚いた。
マトグロッソの、この本を紹介するページで読むことができる。(考えてみれば、ピックアップされているのも好きな人がいるってことですよね…)
きっと1つ読んだら、他のも読んでしまうこと間違いなしな面白さなので、覗いてみて下さい。
☞ http://matogrosso.jp/newyorkde/newyorkde-08.html
突然ほめられる驚きってすっごくいいな…と思う。
褒められたいし、私も褒めてみたい。
スカートやかばんや、誰かの持ちものを、通りや電車の中で「わあ、素敵!」と思うことはあるけれど、それを伝えられたことって今まで一度もない。
急に明日できるようになるとも、残念だけど思えない。
だからこそ、いいなぁとにやにや出来るんだよな、とも思うから、まだまだこの話を見ては楽しい気持ちになろうと思う。
(好きな人が多いってことは、きっとみんな褒めたいし褒められたいんだよな…)
今は、掲載の場をマトグロッソからあき地へ移動されて、引き続き連載中。
2週に一度更新されています。
webでたくさんのエピソードを読めますが、本で読むのもいいです。
(近藤さんの書き文字、印刷されると味わいを増す気がする。)
他にも本にまつわる話☟
コメント